2025年9月12日金曜日

奈良・大阪・京都を観光、関西で国宝を見て廻る!

 




国宝の展示が関西で、奈良国立博物館、大阪市立美術館
京都国立博物館と3か所で開催されるというので
見に行くことにしました。

今まで各地のお城巡りで建物や宝物館を見ているうちに、
当初は美術品には、興味がありませんでしたが、だんだんと
博物館、美術館に行くようになりました。
なかでも国宝に指定された品々や建物は、圧倒されるものがあります。
常設されてないものもあり、開催期間中に見に行ける機会があれば、
ぜひ見に行きたいと思っていました。


奈良国立博物館
















奈良国立博物館では『超国宝』が開催されました。
美術品の知識が無いので、音声ガイド機をレンタルします。
ナビゲーターは岡田准一さんでした。















古墳時代の「七支刀」、飛鳥時代の「百済観音」など
たくさんの国宝が展示されていました。
奈良国立博物館の近くには東大寺や興福寺があります。
周辺には鹿がいて、外国人観光客の皆さんも戯れて
いらっしゃいました。
















大阪市立美術館
















大阪市立美術館では『日本国宝展』が開催されました。















弥生時代の金印『漢委奴國王』、江戸時代の伊藤若冲の
『動植綵絵 群鶏図』などが展示されていました。
金印は教科書で見た記憶があります。















大阪市立美術館の近くはあべのハルカスや通天閣があります。
通天閣周辺は、外国人観光客の皆さんでいっぱいです。
串かつを頂きました。















京都国立博物館
















京都国立博物館では『日本、美のるつぼ』が開催されました。
風神雷神で有名な『風神雷神図屏風』などが展示されていました。
京都国立博物館の近くは三十三間堂や六波羅蜜寺があります。
六波羅蜜寺は空也上人の像が有名です。空也上人が念仏を唱えると、
声が阿弥陀如来の姿に変わったとするお話を元に作成されたそうです。
京都は見どころがたくさんありますね。




















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2025年9月6日土曜日

上杉謙信のお城、春日山城をお城巡り!

 




春の休暇にバイクで福島から日本海へ向けて
新潟を廻る旅に出ました。三春城、二本松城、
会津の向羽黒山城、日本海側の新発田城、
村上城、そして上越に向かい高田城、
鮫ケ尾城の7城をお城巡りしました。

<参考 妙高市を観光、鮫ケ尾城址をお城巡り!

鮫ケ尾城の次は春日山城をお城巡りします。

春日山城展
















春日山城の前に道中にあった
春日山城展に寄りました。















春日山城の模型がありました。
高い山の上にあります。
登るのも大変そうです。
春日山城は上杉謙信の居城として
テレビにもよく出てきます。

春日山神社
















春日山城に到着です。
まずは春日山神社の
参道の長い階段を
のぼります。















春日山神社の奥に
城が広がっています。















神社にお参りしてから、
城を目指します。















頭上には上杉謙信がにらみを
きかせていました。

春日山城
















お城までの道のりは、散策路が
整備されていて、歩きやすいです。















春日山城は石垣がなく、自然の地形と
空堀や土塁などによって守備を
かためています。















本丸
















本丸に着きました。
遠くまで、よく見渡せます。春日山城は、
天守閣を持たず、周囲の山々に砦を築いて、
より大きな城としての機能を持たせていました。









毘沙門堂
















毘沙門堂です。
上杉謙信が信仰していた毘沙門天の尊像が
安置されています。

直江家屋敷
















テレビでも度々出てくる、
上杉家の重臣、直江家の屋敷跡です。

お城は1579年に養子の上杉景勝に、1598年には
景勝の会津移封に伴って、堀秀治に
引き継がれました。

1607年に堀氏が直江津港近くに福島城を築城して、
引越しすると春日山城は役目を終えました。
















上杉謙信
















上杉謙信は1590年に生まれました。
14歳で元服し長尾景虎と名乗り、
19歳で越後守護代になりました。
1561年に鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉姓と
関東管領職を上杉憲政から譲られ、
上杉氏を名乗ることになります。
関東管領職はテレビでよく聞きます。
室町幕府が設けた役職だそうです。















武田信玄と5度も川中島で戦っていながら、
かえって信玄に塩を送ったり、
また、領土的野心で戦をしたことは
一度もなかったと言われるほど、
義に厚い武将でした。
1578年、関東出兵を前にして、
49歳の生涯をとじました。



















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2025年8月30日土曜日

妙高市を観光、鮫ケ尾城址をお城巡り!

 




春の休暇にバイクで福島から日本海へ向けて
新潟を廻る旅に出ました。三春城、二本松城、
会津の向羽黒山城、日本海側の新発田城、
村上城、そして上越に向かい高田城の6城を
お城巡りしました。

<参考 高田城をお城巡り、だんご汁とけんさ焼を頂く!

翌日は近くの鮫ケ尾城址にお城巡りに行きました。

鮫ケ尾城址は山城です。
心の準備をして、ナビでお城を
設定し出かけました。

登山口
















登山口にたどり着きました。















南登山道と標された登城口は
鬱蒼とした山の中へ続いています。
どうもメインの登り口はここではないようです。















近くを探していると、見つかりました。















入口を入っていくと、のぼりも立っていた、
ここがメインの登り口に
間違いないようです。















登山道は弥生時代の遺跡『斐太遺跡』の
奥にあります。















案内所がありました。















案内所の脇から登っていきます。
北登山道と標されています。
本丸は標高185mの山頂にあります。















雨の後だったので、少しぬかるみがあり、
滑りやすいところもありましたが、
道が整備されて歩きやすいです。















鮫ケ尾城址
















本丸に到着しました。















天気も良くて遠くまで見渡せます。















風が心地よく涼しいです。
山登りで汗だくでしたが、
気持ちいいです。















帰りは昇りと道を変えて、
東側から降りました。















鮫ケ尾城は上杉謙信の時代に、
大規模な山城となりました。
山頂付近に曲輪や堀切が配置されています。















堀切がくっきり残ってました。
写真では、よく分かりませんね。















尾根沿いを通る道で、
案内が道沿いにあるので、
分かりやすいです。















BIRDS INN CAFE
















鮫ケ尾城の次は春日山城にお城巡りに行きます。
お腹が空いたので道沿いのお店に寄ります。

BIRDS INN CAFE』さんです。

ステーキ屋さんです。
ランチを頂きました。

ランチコンボの
ビーフステーキライスです。




















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2025年8月24日日曜日

高田城をお城巡り、だんご汁とけんさ焼を頂く!

 




春の休暇にバイクで福島から日本海へ向けて
新潟を廻る旅に出ました。三春城、二本松城、
会津の向羽黒山城、日本海側に向かい、
新発田城、村上城の5城をお城巡りしました。

<参考 村上城をお城巡り、お土産のだったんそばを頂く!

村上城の次は上越に向けて走ります。

道の駅 わしま
















『道の駅 わしま』に寄りました。















だんご汁とけんさ焼を頂きます。
だんご汁は、キノコと大根、
だんごが入ったお汁です。
お腹にやさしい味でした。
けんさ焼は、味噌を軽く塗って
表面を焼いたおにぎりです。
焼きすぎず、ホクホクして
美味しいです。















上越までは雨と一面真っ白の霧に覆われ、
日本海が見えません。寒くはなく、
昼間で明るかったので助かりました。

極楽橋
















上越に到着しました。
高田城にお城巡りに行きます。

極楽橋です。















明治時代に取り壊されましたが、
平成14年に復元されました。
木橋ですが、見えない部分は
鉄筋コンクリートなどを使用して
造られています。














高田城


高田城は1610年、徳川家康の六男、
松平忠輝が信濃国川中島から
入封し、1614年に築城しました。















徳川家と豊臣家の抗争が激化し、
豊臣家側の重臣前田利常を牽制するため、
城を築いたといわれています。















城は天下普請として築城されて、上杉景勝、
前田利常などの大名が任命されました。
総裁には伊達政宗が就任しました。















城の竣工までの期間は約4ヶ月と、
とても短かったそうです。
大坂の陣が近づき、豊臣方を牽制したと
いわれています。

三重櫓


三重櫓です。















明治に取り壊されましたが、平成5年に
復元されました。櫓内は展示室になっています。
向かいの建物で入場券を購入します。















高田城は天守閣が建築されず、
石垣も積まれず、全体に土塁を
めぐらしています。
豊臣家との決戦を間近に控え、完成を
急ぐ必要があったからだと考えられています。







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