2015年10月16日金曜日

なぜ錦帯橋が出来た?岩国城の歴史を語りましょう!!

山口県の岩国に訪れ、錦帯橋に行って来ました。


<参考 山口県の東にある岩国、木造の錦帯橋に見惚れます。


美しい造形美の錦帯橋です。

















なぜ、錦帯橋が錦川にアーチ橋で作られたか?



岩国城の近くに資料が展示してあって、映像で見ることが出来ます。
扇風機があって、汗を静めるまで、ずっと見てました。

岩国城の川向こう対岸(バス停側です。)に中下級武士の屋敷や
街があったから、橋を作る必要があった。

錦川は氾濫するので、橋を丈夫にする必要があった。
だから、橋脚が石で出来たアーチ型の橋になったそうです。

岩国城は江戸時代になって建設されたのになんで、山城だったのか?


戦国時代初期に建てられたお城は山城です。
いくさがあったので、そりゃそうですね。
だんだん街が発展してくると、山の上だと不便なので、
平地に作られるようになったんですね。

いろいろお城を見てきたので、ちょっとは詳しくなりました。

岩国城の城主は吉川広家。
元々は毛利家の家臣で豊臣方。


信長の野望って陣取りゲームをしたことがあります?
戦国時代に中国四国地方で大きな領地を持っていた
毛利家です。


関が原の戦いの時に、徳川方が勝つと思い、毛利家の出陣を邪魔した。
徳川家康に、毛利家のおとがめ無しを約束していたが、
破棄されて、すったもんだで現在の山口県あたりに領土が減らされた。
毛利家からも、相当、恨まれたようだ。
広家は江戸時代になったけれどそぉ続かず、また戦乱が来ると考え、
その時は、毛利家の盾となって戦う思いで山城を築城した。
残念ながら、一国一城令で築城から7年、廃城になる。

岩国城の歴史をまとめると・・・・


戦国時代の様々な事情で、岩国城が山城になった。
山城になったせいで、上級武士の屋敷などが麓に作られ、
中下級武士の屋敷、街が錦川の対岸に出来、橋が必要になった。
錦川は氾濫が多く、橋は何度も流された、
橋脚を石造り、橋をアーチ形とすることで、丈夫にした結果、
錦帯橋が完成した。

なるほどー、資料展示がとっても勉強になりました(*⌒∇⌒*)

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