冬のハスラーで行く旅です。雪を避けて
西に向けて進んできました。
中津川の苗木城、3大山城の岩村城、
淡路島の洲本城、四国に渡り徳島の勝瑞城、
香川の引田城、再び本州に戻り
岐阜県の美濃金山城、織田信長の小牧山城、
武田氏の古宮城、今川氏の高天神城の9城を
お城巡りをしてきました。
<参考 今川氏のお城、高天神城をお城巡り!>
高天神城の次は諏訪原城跡をお城巡りしました。
冬のハスラー旅では10城目で、ラストの
お城巡りになります。駐車場に車を停めて、
お城に向かいます。

諏訪原城
城跡周辺には茶畑がひろがります。

高天神城は百名城のひとつです。スタンプと
案内パンフレットの置場がありました。
ありがたいです。

やまたけお城の敷地は正面の入口付近の感じより、
ずいぶん広いです。散策路が整備されていて、
順路の表示や案内板もあって助かります。

堀が深いです。保存が良いです。

二の曲輪北馬出

二の曲輪北馬出が見えてきました。
大きさに圧倒されます。

台地方向からの攻撃に備えて、
7か所設けられた馬出のひとつです。
堀が深く綺麗に保存されています。

諏訪原城は、1573年に武田勝頼が
築かれました。

1575年には徳川家康に攻め落とされた後は、
『牧野城』と改名され、武田方となった
高天神城の攻略拠点となりました。

1581年に高天神城が落城し、翌年、
武田氏が滅亡すると城の必要性がなくなり、
その後、徳川家康が関東に映ったことから
廃城になったといわれています。

金谷坂の石畳

諏訪原城の近くには東海道の名残である
『金谷坂の石畳』があります。

江戸時代に幕府が金谷宿と日坂宿の間に
旅人が歩きやすいように山石を並べたものです。

大きい丸い石が敷き詰められています。

諏訪原城側から歩いて行くと下り坂です。
石畳の逆側には石畳茶屋があります。
金谷駅側でお城側に車が置いてあるので、
引き返します。行きは下りだったので、
楽に歩いて行けますが、帰りがきついです。

江戸時代には700mほどあった石畳ですが、
大部分が失われ、30mほどが残っていました。
1991年に町おこし事業で430mが復元されました。
