山口県の岩国に訪れ、錦帯橋に行って来ました。
<参考 山口県の東にある岩国、木造の錦帯橋に見惚れます。>
美しい造形美の錦帯橋です。
なぜ、錦帯橋が錦川にアーチ橋で作られたか?
岩国城の近くに資料が展示してあって、映像で見ることが出来ます。
扇風機があって、汗を静めるまで、ずっと見てました。
岩国城の川向こう対岸(バス停側です。)に中下級武士の屋敷や
街があったから、橋を作る必要があった。
錦川は氾濫するので、橋を丈夫にする必要があった。
だから、橋脚が石で出来たアーチ型の橋になったそうです。
岩国城は、なんで山城だったのか?
戦国時代初期に建てられたお城は山城です。
いくさがあったので、そりゃそうですね。
だんだん街が発展してくると、山の上だと不便なので、
平地に作られるようになったんですね。
いろいろお城を見てきたので、ちょっとは詳しくなりました。
岩国城の城主は吉川広家。
元々は毛利家の家臣で豊臣方。
信長の野望って陣取りゲームをしたことがあります?
戦国時代に中国四国地方で大きな領地を持っていた
毛利家です。
関が原の戦いの時に、徳川方が勝つと思い、毛利家の出陣を邪魔した。
徳川家康に、毛利家のおとがめ無しを約束していたが、
破棄されて、すったもんだで現在の山口県あたりに領土が減らされた。
毛利家からも、相当、恨まれたようだ。
広家は江戸時代になったけれどそぉ続かず、また戦乱が来ると考え、
その時は、毛利家の盾となって戦う思いで山城を築城した。
残念ながら、一国一城令で築城から7年、廃城になる。
岩国城の歴史をまとめると・・・・
戦国時代の様々な事情で、岩国城が山城になった。
山城になったせいで、上級武士の屋敷などが麓に作られ、
中下級武士の屋敷、街が錦川の対岸に出来、橋が必要になった。
錦川は氾濫が多く、橋は何度も流された、
橋脚を石造り、橋をアーチ形とすることで、丈夫にした結果、
錦帯橋が完成した。
なるほどー、資料展示がとっても勉強になりました(*⌒∇⌒*)
<続く 岩国を観光、中通り商店街でお好み焼き!>
0 件のコメント:
コメントを投稿